ベトナム人の記憶に残る日本人記者
日本人の新聞記者、高野功氏(1943年生まれ)は、中越紛争を取材中に、中国兵の銃弾により1979年にこの世を去った。亡くなって40年が経過し、墓もすでに日本に分骨されて長いが、彼の友人は変わらずLang Sonへ墓参りに訪れている。
■取材中、戦場で銃弾に倒れる
中越紛争の取材以前から、高野氏はベトナムと深く関わりを持っていた。
彼は1967年から1971年までハノイ総合大学(後のハノイ国家大学)ベトナム語科で学び、カンボジア・ベトナム戦争と中越戦争の情報を日本に送るために特派員として働いていた。
高野氏は、Lang SonのKy Cung川の近くで中国兵に応戦するベトナム兵の写真を撮っていた最中、中国軍が放った銃弾を受け殉職した。
それは1979年3月7日午後のことだったが、この2日前、中国はベトナム国境からの撤退を発表していた。若い妻と5歳になる子供を日本に残し、36歳でこの世を去った。そして遺骨は、彼の妻によって故郷のある宮城県蔵王山の麓に埋葬された。
長年高野氏の研究を続けているホーチミン市人文社会科学大学のDoan Le Giang学科長は、「高野氏をはじめとした日本人記者の残した文章はベトナム国民の防衛戦争に関する世界の認識を変えました。彼は非常に勇敢な記者の1人でした。当時、Lang Sonは爆弾で破壊されていましたが、戦況を世界へ伝えるため、高野氏は勇敢に取材を行っていました」と回想する。
Giang氏によると、来る3月7日には、高野氏の遺物、作品、資料の展示のために、著名な記者である中村梧郎氏を団長とした高野氏の友人グループがハノイを訪れることになっている。
これらの資料に中には、1979年に日本で出版された高野氏の遺作『三月七日、ランソンにて』も含まれており、この本はベトナム語にも翻訳され、近々ベトナムでも出版される。
高野氏の友人グループは、墓参りでHoang Dong烈士霊園を訪れる予定だという。
■ベトナム文学を日本に紹介
世界の人々に1979年の北部中越紛争の状況を伝えただけでなく、高野氏は小説『白い服』(Nguyen Van Bong著)と短編『母さんはお留守』(Nguyen Thi著)の2冊を日本語に翻訳し、ベトナム文学を日本に紹介した翻訳家としても知られている。
『母さんはお留守』は、日本で有名な童画家いわさきちひろによって絵本にされ、1972年に日本で出版されている。この絵本は多くの日本人に受け入れられ、再版は10回になった。(最新版は2016年再版)
また、高野氏が中国とベトナムの国境紛争を記した『三月七日、ランソンにて』は発刊から3か月後に再版されている。
(Tuoi Tre 2月16日)
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(2019/05/23 12:42更新) |