日本で学んだ「笑顔」と「人を育てる」ということ
「当機は成田国際空港への着陸に向け、徐々に降下してまいります」。
■傷跡を感じさせない笑顔
機内アナウンスの優しい声が聞こえてくるまで、私は、まだ悲しみを抱えた日本と日本人に会えるのだろうと思っていた。
だがボーディング・ブリッジを抜けると、すぐに自分の間違に気付いた。一緒に行った友達がこう言うのを聞いて、その思いはさらに強くなった。「日本、日本人はやっぱり違うわ」。10分もしないうちに入国手続きを終えて荷物を受け取り、幾層にも重なり合う近代的な空港では、尊重や親しみの挨拶を表すお辞儀や笑顔が溢れていた。
日本人の一般的なコミュニケーションでは、最初と最後に笑顔とお辞儀は欠かせない。ホテル、レストラン、売店、森の中の公衆トイレでさえ、入る時と出る時には親しみを込めたお辞儀が客に向けられる。
東京に始まり、リゾート地の箱根、大阪、古都京都、それから富士山に行って大涌谷。様々な場所に足を運んだが、フクシマの悲しみを感じさせるようなことは少しもなかった。
在日30年以上になる観光ガイドDo Phu Taiさんが言うには、悲しみを表に出さないことが、日本人にとっては美徳だそうだ。彼らは、悲しみがいかほどであれ、今の生活が大切だと考えている。悲しみを減らし、喜びを受け取る準備ができる。そして幼い頃から彼らは、自分の悲しみで他人に迷惑をかけてはならない、と教えられている。
■ディズニーランドで見た光景
東京最終日、ディズニーランドに行った。香港や韓国に続き、テーマパークに行くのはこれで3度目だったが、特に変わりはなかった。ある子供が転んだ話を除いては――。
その日本人夫婦は若く、3歳ぐらいの女の子を連れていた。ぴょんぴょんと飛び跳ねていたその子は転ぶと、手に持っていたポップコーンをこぼし、泣きながら両親を見た。私は、父親と母親は子供を抱きかかえ、責任を擦り付け合い、子供を転ばせた地面や空さえも非難するものだと思っていた。
だがそうではなかった。子供が起き上がるまで待ち、それから抱きかかえると、母親は子供の涙をぬぐって、優しく言葉をかける。日本語は分からないけれど、母親の手を離れ、こぼしたポップコーンを拾ってゴミ箱に持っていく女の子の姿を見て、きっとこう言っているのだと思った。
「どうして泣くの? パパやママと手をつながないで、前を見ないで走ったからよ。ほら、見てごらん。地面を汚しちゃったでしょう? これからは転んだら自分で起きるのよ」。
私たちの車は東京の街中を走る。ベトナムから一緒にやって来たガイドThai Vuさんは、「日本人は小さな頃から、自重心、自主性、共同意識を教えられているんですね。転んだら自分で起き、過ちを犯せば、それを認めなければなりません」。
ディズニーランドで見た幼い女の子の姿はひとつの教訓である。正確かは定かでないが、「日本から学んだ人を育てる方法の答え」の一つではないだろうか。このような母親に育てられ、その子は自分の母親のようになるだろう。そしてそれが、日本人、そして日本という国である。
(Doanh Nhan Sai Gon Cuoi Tuan)
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(2012/02/04 01:24更新) |