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コラム

ベトナム:サイゴンの昼はきらきらと(前編)


― 従軍記者が見た南部解放 前編 ―

 午後1時、私たちは独立宮殿に入った。道に溢れる人々、花柄のアオザイ、揺れる金星紅旗。サイゴンは、きらきらと光り輝いていた。

■戦場に響く笑い声
 Bao Locから行軍していた私たち第4軍団所属の第7師団は、サイゴンの東北の玄関口Xuan Locの拠点を攻撃すべく、どこまでも広がるバナナの森を進んでいた。
1975年4月1日の夜のことだった。

 Nam Phong師団長は、人々のバナナを切ることはならん、との命を下していた。Xuan Locのバナナの森は、収穫のため行き来する自動車用の道が設けられているほど、広かった。

 Xuan Loc攻撃のあいだ、師団の記者たちは、指揮壕に行き、各地の最前線からの情報を毎日聞くことになっていた。

 1967年から東南部戦場入りしていたPhung Khac Bac(作家・1990年没)は、肌が黒く痩せこけ、両眼だけが、らんらんと光っていた。優しく、よく笑う男で、師団の訓練宣伝委員会で新聞を担当していた。

 1973年の末、Bacは師団の文芸隊を、Song Be河畔のDong Xoai基地まで、私たち小隊のために派遣した。

 演目には、隊のものと、兵士ら自らが作った演目があり、私のメモ帳にパリ協定実現の日について書いた詩があるのを見つけた大隊の政治員で、帰国したタイ越橋Daiが、私に詩を吟じさせた。とはいえ、吟じるどころか、棒読みすることしかできなかったのだが。

 するとBacが私を探してやってきて、詩を作れるか、記事を書けるかと聞いてきた。私は、記事なら村で中学生の頃から書いているが、詩は始めたばかりだと答えた。

 彼は、自分は詩を書いたことがなく、ちょっとした話と記事を少しばかり書いたことがあると話してくれた。この一件の後、彼は私を政治委員会に移し、新聞を担当させるよう師団に提案した。

 Xuan Loc拠点攻撃の初夜、私たちの部隊は、爆弾を抱え幾度となく突破を試みたが、敵の銃弾はすさまじく、多くの死傷者が出た。師団長は電話口で怒鳴るように、矢つぎばやに指示を出していく。

 だが戦場での指揮というのに、口調は気楽なもので、第2小隊の政治員Dinhに対する「昨晩君たちは牛の鼻くそのようなバリケードを食いきれなかったようだな。今晩はそれを食いきってしまうことを命じる。聞こえたか!」という命令には、指揮壕にいた誰もが、腹を抱えて笑ったものだ。

 翌夜、私は記事を書くために、敵の拠点を攻撃している第2小隊のところへ行くよう言われた。一般に使われていた暗号として、「Song Hong(紅河)」という問いかけに「Me Kong(メコン)」と答えるものがあった。

 4月なかばの月かすむ夜、バナナの森と乾いた草原で囲まれた四方を、ひとり不安のなか行く道を探していると、不意に「Song Hong」という声が聞こえた。しかし私は暗号で答えることなどすっかり忘れ、「政治委員会のKhoiです」と答えてしまった。

 すると兵士が私のところまでやってきて、笑いながら、迎えに行くよう命じられた者で、ずっと待っていたと告げた。「道に迷ったのだろうとは思っていましたが、なぜ暗号で答えなかったんです? 自分が迎えの者で、名前も知っていたから良かったものの、知らなかったら死んでましたよ」と言う。

 Bay大隊の先頭隊の壕に潜り込むと、バリケードを破壊しようとして負傷した3人が、大量出血し、包帯を簡単に巻いただけで隅に横になり、救護所へ運ばれるのを待っていた。

 他の兵士はと言えば、笑いながらトランプに興じており、あと数分後に、このなかの誰かがふたたびバリケードを破壊するために這い進み、そして向こうで横になる仲間のように負傷し、犠牲になる可能性があることなど、どの顔からもまったく見て取れなかった。

 東部の過酷な戦場では、そのように平静を保っていなければ、生きることなどできなかった。

■兵は身を清めよ、襟を正せよ
 4月20日、解放軍の攻撃の前に、サイゴンへ戻る道を断ち切られた傀儡サイゴンの18師団はXuan Locから敗走、18師団長Le Minh Dao将軍は、Vung Tau方面に逃れようとしたところで、解放軍に捕らえられた。

 後にTran Van Tra上将の回想録で知ったことだが、Xuan Locからサイゴンへの道をDau Giayで断ち切るという作戦は、ある中隊長の発案によるもので、どの将軍の指揮によるものでもなかったそうだ。

 私たちの部隊は、ある村を過ぎたところで深夜になり休息命令が出された。ハンモックを吊るす作業も秘密裏に進めるため闇夜手探りで行われた。ハンモックに揺られ、私は夢のなかで、熟した果実の匂いを感じた。

 朝起きてみるとどうだ、頭上には芳香を放つたわわに実ったドリアンがあった。私は身を起こし、ドリアンの香りを吸い込んだ。

 その頃、私たちの部隊はXuan Locのゴム林に駐屯し、政治やプロパガンダの方法を学び、サイゴン攻撃の準備に備えていた。私たちは互いに髪を切りあい、髭を剃りあった。Nam Phong師団長いわく、「最後の大一番に向けて、兵は身を清めよ、襟を正せよ」とのことだった。

 4月30日、私たち第7師団に出撃命令が出た。部隊は装甲車やトラックに分乗し、記者の私は、Hondaのバイクに乗った。Xuan LocからBien Hoa、そしてサイゴンへと進む道で、傀儡軍は方々に散り、道には銃弾や軍服、各種の軍用品がゴミのように捨てられていた。

 独立宮殿に入ったのは、午後1時のことだった。道端はサイゴンの人々で溢れ、女性は花柄のアオザイを着て、金星紅旗を振っていた。

 4月のサイゴンの昼は、きらきらと輝いていた。

 私たちの部隊は、サイゴン動物園に集合した。縞模様の手ぬぐいを肩にかけた母、少女たちが、いい匂いの湯気を立ち上らせる、鶏粥の鍋を運んできた。

 母たちは椀によそい、そして私たちが食べる様子を座って眺める。まるで家の中の子供たちを眺めるかのように。その粥は幼い頃に母が作ってくれた粥のように、なんとも美味しかった。

 解放サイゴンの地で、それが最初の食事だった。

 (続く)

(Tien Phong)

(2008/05/12 06:29更新)

※上記の情報は【ベトナム最新情報】より引用しています。

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