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コラム |
ベトナム:きっと彼らを許すでしょう――ソンミ虐殺事件から40年
3月16日朝、Quang Ngai省Son My証跡区で、40年前のこの日犠牲になった504人の慰霊式典が行われた。地元住民や犠牲者の家族、事件に遭遇しながらも一命を取り留めた人々など約1,000人のほか、世界各国の報道機関、慈善組織の姿も多くあり、日本からも原水爆禁止日本協議会などの参加があった。
■そこは死体で埋めつくされていた
1968年3月16日朝、Charlie中尉率いる米軍の部隊が村を襲い、女性を暴行し、罪のない504人をベトコンとして殺した。
Hugh Thompsonは、操縦するヘリを燃料補給のため基地に戻そうとしていた。途中で彼らは、以前水路だった場所が、女性や子供、老人の死体で埋め尽くされているのに気づいた。乗り合わせたLarry Colburn、Glenn Andreottaは生存者を探し、HughとLarryが1人の子供が動いているのを見つけた。
LarryはMy Lai(米国人のSon Myに対する呼称)虐殺事件を目の当たりにし、米軍による残忍で非人道的な行為を世界に知らしめた人物である。Glennは戦時に亡くなり、Hughは2006年1月にガンでこの世を去った。生きているのは彼しかいない。
Michael Bilton著の『My Laiの4時間』によると、Charlie中尉の部隊はハワイの密林での訓練を終えベトナムに到着したばかりで、隊員はみな18〜20歳という若者だった。その日彼らは、ベトナムで命を落とした仲間の報復にと戦場へ行くことを強く望んでいたという。
Larryは今もなお、こんな残酷な事件を防ぐことができなかったのかという思いに苛まれている。
■この地に戻り許しを
Larryは、戦争に殺しはつきものだが、それと殺人は違うということをわかってほしいと言う。「あの日、My Laiの人々は米軍に対し脅威を与えたわけでもなければ武装もしていなかった。すべて女性や子供、老人で、なかには小さな赤ん坊もいた」。
1998年の30周年に際し、LarryはHughとともにこの地にきた。当時2人は米政府から、ワシントンD.C.のベトナム戦争記念碑において戦争での虐殺阻止への功績を評価されメダルを授与されたばかりだった。
戦後ベトナムを訪れる元米兵は少なくない。彼らは時に妻や子供を伴ってくる。Larryによると、米国には無意味な戦争に参加してしまったことに気付き、罪悪感に苛まれている元兵士が数多くいる。「彼らは許しを請うため、謝罪するために訪れなければならないという思いにかられるのです」。
ベトナム人の心に多くの元米兵が感服している。Larryとともに訪れたMichael Biltonは、虐殺事件で生き残ったある女性が「パイロットのHugh Thompsonさんはいい人。なぜ他の兵士は許しを請いに戻らないのでしょう。来ればきっと許すでしょう」と話したことに心底驚いたという。
LarryとMichaelは、これはアメリカ人には理解しがたい、ベトナム人の神聖な心による言葉のひとつだとしている。
(Tuoi Tre)
(2008/03/19 05:59更新) |
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