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コラム |
ベトナムの国会総選挙物語 最終話
― 主席への信頼、真の独立への希望 ―
1946年1月6日朝7時、ハノイの人々は総選挙を知らせる太鼓や鐘の音で目を覚ました。
■期待に沸く年の瀬
Nguyen Ngoc Lienは「皆はりきって投票に行った。どんな候補者でも、ホー・チ・ミン主席派ならそれが票を投ずべき対象だった」と振り返る。主席やVo Nguyen Giap、Tran Huy Lieu、Khuat Duy Tienといった革命家を支持する場所では、その地の立候補者でないとわかっていても、彼らに投票する人が後を経たなかった。
ホー・チ・ミン主席は有権者らの歓迎の嵐の中、ハノイ市Hang Voi通り10番地(現Ly Thai To通り)の投票所で投票した。国民としての義務を果たした彼はその後、Hang Bac、Hang Gai、Hang Trong、Thuy Khue、Ho Khau村(現Tay Ho区Buoi街区)やO Dong Macの投票所を訪ねた。主席が特に感動したのは、70〜80代のお年寄りが孫に背負われ、盲目の人が付き添いに手をひかれ、自分の手で投票しようと訪れていたことだ。
当初の計画では、選挙は1945年12月23日の予定だった。さらに立候補者を募り、規模を拡大するため翌年1月6日に延長されたのだが、実際には、12月23日に投票が実施された地域も多かった。
Phuc Yen(現Vinh Phuc省Me Linh)では、村中で総選挙を歓迎する演説や空まで届きそうな民衆の声が響き、馬車が駆け回り、どの家にも提灯がつるされた。Thai Nguyenでは、たいまつの行列が森を照らし、Kien Anでは、選挙をテーマにした演劇を上演、Tuyen Quangでは模擬投票を行い、住民の意識を高めた。投票数の多さを地区で競ったり、誰が当選するかを予想したりする地域もあった。
反対勢力の拠点では妨害もあったが、Phu Thoでの様子を第1期国会議員Nguyen Thien Nguはこう振り返る。「蒋介石軍とベトナム国民党、ベトナム革命同盟会はライフルを背負い妨害を試みたが、住民の熱意の前に失敗に終わった」。
■一票に希望を託して
8月革命でかすかな希望が見えていたとはいえ、La Tinh村、Tu Ky村(現Hai Duong省)では3分の1の人々が飢えで命を落とし、絶望の雰囲気が漂っていた。元歴史院長でLa Tinh村の有権者だったVan Tao教授によると、総選挙期間中、村のぬかるんだ道にはメガホンを手に、ホー・チ・ミン主席支持、人権、独立、選挙について大声を上げる青年団がいた。
太鼓の音は近隣の村に響き渡り、スローガンや革命の歌がこだまし、「8月革命を続けよう」、「国会はわれらの代表だ」と書かれた赤い紙や幕が広場の入り口、市場、木の幹、寺の門など至るところに掛けられた。知識層の青年やベトミン幹部は省や村の有力者や民家を訪ね、総選挙について説明した。
1946年1月6日、村々では夜も明けきらぬうちから、子供たちが打ち鳴らす太鼓の音が響いていた。子供達は歌い、スローガンを叫びながら一団を率い、みなを選挙に行くため起こす。
村は稲刈りの季節、人々は選挙に朝早く行かねばならなかった。老若男女、有力者も農民も学生も、みなで村を出発した。投票所の入り口には、シュロの葉と目のさめるような赤のハイビスカスが飾られ、張り紙があった。「La Tinh村投票所。長椅子はご自由にどうぞ。投票用紙配布はあちら。文字を書けない方はお手伝いします」。
Van Tao教授は、投票用紙がノートの4分の1大だったと記憶している。そこには3人の候補者名と選挙管理委員会の印が印刷され、自筆で記入することになっていた。多くの人が、文字を読めなくても、みな自信に満ちた表情で投票した。昼頃には市場に行った人を待つのみとなった。夕方近くにはほとんどの村民が投票を済ませ、みな喜びに満ちた表情を浮かべていた。革命政権、ホー・チ・ミン主席が自分達の生活に自由と富みをもたらしてくれるという確信を胸に抱いて。
(終)
(Tuoi Tre)
(2007/07/20 06:37更新) |
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