HOTNAM!ベトナム最新情報 HOTNAM!トップ | ベトナムニューストップ ベトナムニュース 【The Watch】 ビジネス最新情報

トップ ニュース フォーラム 基礎データ 書店 生活情報 ディレクトリー
 ニュース検索
 ニュースカテゴリー
ニューストップ
政治・経済
投資・進出
日系企業情報
事件と出来事
統計情報
人事・法律・会計・労務
社会とトレンド
コラム
クローズアップ
インタビュー
 TheWatch ニュース
週4回(火・水・木・金)電子メールで最新ベトナムニュースを送付、日系進出企業の定番情報収集メディアとなっています。
定期購読(TheWatch)
 ベトナム関連書籍
ベトナム関係の書籍情報をさらにジャンル別などで細分化し、分かりやすくベトナム関連情報を紹介しているインターネット本屋さんです。
HOTNAM!ベトナム書店

コラム

ベトナムの国会総選挙物語 第一話


― 国を愛するものよ、建国に手を貸さん ―

 その太鼓や鐘が鳴り響いたのは、1946年1月6日朝7時のことだった。ベトナム初の国民総選挙を告げる、音だった。

■尊い選挙を守れ
 その頃ハノイでは、ベトナム国民党、ベトナム革命同盟会など、ホー・チ・ミン主席率いるベトナム独立同盟(ベトミン)政府に反対する政党が多数出現、Yen Bai、Vinh Yen、Mong Cai等の一部地域は彼らの拠点となっていた。ベトミン打倒を掲げた新聞やビラも方々で配られ、共産党員である大臣の排除を訴えていた。

 村々は貧しく荒れ果てていた。約200万の餓死者を出すという最悪の事態も発生、未熟な国民政府が内外の敵を迎え撃ち、新しい国づくりを成功させる唯一の方法は、団結ののろしを上げ、全国民の力を結集し、国民自らが選んだ代表による国会と自由・民主主義を約束する憲法を作ることしかなかった。

 1945年9月3日、8月革命後の臨時政府初会合でホー・チ・ミン主席は「一般投票制の総選挙を一刻も早く実施せねばならない」と述べた。18歳以上のベトナム国民は自由に立候補・投票する権利を持つ、憲法・法令制定委員会を設立するという国会総選挙と憲法制定に関する勅令が公布されたのは、その5日後のことだった。

 これを反対勢力は妨害、総選挙を破壊しようとした。臨時政府は蒋介石軍Tieu Van将軍、ベトナム革命同盟会と和解、1945年10月23日に団結・協力で合意した。だがベトナム革命同盟会Nguyen Hai Thanはその直後、自らその合意を破棄した。

 政府は再び彼らと話し合ったが、革命同盟会は国旗変更、政府再建、人民委員会制度廃止を要求、一方国民党は内務・財務・経済・教育・青年の各省を手中に収めることを要求、総選挙を延期しベトミンと同じ3分の1の議席を分けるよう求めた。

 1945年11月19日、ベトミン、国民党、革命同盟はTieu Van将軍とともにホー・チ・ミン主席主催の会合に参加、数日後、「誠心団結」という文書に3組織が署名した。だが状況はやや落ち着いただけで、主席は引き続き重要な3項目について心をあわせるよう説得せねばならなかった。それは、独立、総選挙への団結、攻撃停止であり、この合意のもとではじめて、総選挙ができると繰り返した。

 「長い間多民族に支配され、90%の国民が文字を知らない、また人間性を失うほどすさまじい飢饉を経験した小さな民族の革命に、人類の歴史は驚きを隠せないだろう」。まさに激動の時代だった当時を振り返り、国会史を研究するハノイ国家大学Le Mau Han教授はこう言う。

 高貴な民主主義への希望と民族団結のひとつの証として、Nguyen朝最後の皇帝Bao Dai(Vinh Thuy)が国会議員に立候補、臨時政府の顧問となったことがある。旧体制の皇帝は新体制の幹部となり、民の代表となることが許されたのである。

 ベトナム民主共和国の独立宣言直後、ホー・チ・ミン主席は「国を愛する誰もが立候補する権利を持ち、全国民が投票権を持つ。男女、貧富、民族、階級、党の別はない」とし、ベトミン以外からも、民主主義の考えを持ち才能ある者を尊重し、愛国心と団結の志を持って選挙名簿に名を連ねるよう広く呼びかけた。また選挙直前まで、ホー・チ・ミン主席はラオス、シャム(タイ)にいる同胞に対し、祖国に目を向けるよう呼びかけた。

 こうした努力の結果、ベトナム初の国会は階級・年齢・宗教を問わず、団結・独立・民主主義を理想とする精神を持ち、優秀でモラルある人物が初めて、一堂に会す機会となった。ホー・チ・ミン主席やTon Duc Thangのような海外滞在経験を持つ革命家からNguyen Dinh Thiのような血気盛んな若い知識人、商売人、文化人、カトリック、仏教、カオダイ教の代表なども参加した。

■新聞は何を伝えたか
 飢えや貧しさ、不景気を伝えるものばかりだった新聞には8月革命後、特に総選挙発表頃から、かつてないほど政治問題が取り上げられるようになった。ベトミン以外の政党や組織はViet Nam、Thiet Thuc、Dong Tamなど多くの出版物を発行、ベトミンやその他愛国組織はDoc Lap、Cuu Quoc、Su That、Co Giai Phongなどの新聞を発行、内容の80%以上を総選挙が占めた。

 Quoc Hoi(国会)紙は、総選挙終了までの期間限定で発行された選挙専門紙だ。総選挙の意味を内外に知らしめること、有権者の権利など総選挙のルール解説、立候補者の紹介などを目的に、ハノイ市の現Nhan Dan新聞社屋の場所で発行されていたこの新聞は1号2ページ(特別号4ページ)、1945年12月17日から翌年1月6日まで、全15号が発行された。 

 毎号に各候補者のインタビューが載り、それぞれ観点や手法は違ったものの、主張の中心は独立や団結、地方政権の権限縮小や国民の権限拡大といった憲法草案に対する率直な意見を述べていた。財政、農業、教育、経済、医療など国民の立場にたった発言も多かった。詩人Xuan Dieuは紙上、「民の罷免権を支持する。その権利があってはじめて、民が犠牲になることを避けられる」と述べた。

 1945年12月19日、Quoc Hoi紙に「ラジオでの候補者演説のルール」が掲載された。放送は夕方5時半~6時半、登録してお金を支払えば誰でも参加できた。候補者は自分の紹介や主張を書いた紙をラジオ局に持ち込み、代読してもらう。▽文章は検閲を受ける、▽運動の規則に従う、▽他人を誹謗してはならない、▽民族の権利を侵してはならない、▽独立民主主義の精神に則る、▽24時間前までに提出するという注意があった。Han教授はこれについて、当時世界で最も進歩的かつ民主的で公正な選挙運動だったと話している。

 選挙運動は他に、ビラ作成、演説会、意見交換会などがあり、各地で熱い論議が交わされた。その様子を1945年12月21日Quoc Hoi紙は「高貴な精神宿る運動」と報じた。ホー・チ・ミン主席による「国を案ずる者は誰でも立候補する権利がある」という精神は、すべての革命家、愛国の知識人、地方有力者、労働者に浸透していた。

 各地で定数を大きく上回る立候補があり、ハノイでは定数6に対し47候補、Kien Anは7に対し60、Ha Namは7に対し52。1945年12月10日に発表されたハノイの立候補者名簿の中には、ホー・チ・ミン主席の名もあった。

 総選挙を前に各地の人民委員長やハノイの村代表ら118人は、ベトナム民主共和国の主席たる人物の選挙を免除することで一致した。だがホー・チ・ミン主席はこれにこう答えた。「皆の提案にはとても感動している。だがベトナム民主共和国の一国民である私が、総選挙のルールを破るわけにはいかない」。

(続く)

(Tuoi Tre)

(2007/07/19 06:24更新)

※上記の情報は【ベトナム最新情報】より引用しています。

『ベトナム最新情報』は、ベトナムに投資・進出する日系企業の定番ビジネスニュースです。
詳細は『ベトナム最新情報』をご覧下さい。

ベトナムニュースヘッドライン

[クローズアップベトナム最新情報5084号 目次(07/20)
[コラム 日本人が起業したKAMEREO、ベトナム飲食業界の未来に貢献(07/20)
[日系企業情報日本のイオンが「ベトナムウィーク」、ベトナム産果物を輸入販売(07/19)
[コラムスマートホーム市場、無限の潜在性(07/14)
[日系企業情報日本製品販売チェーン、「PANPAN」が人気(07/13)

HOTNAM!トップ > ベトナムニュース > コラム > ベトナムの国会総選挙物語 第一話 
トップ ニュース フォーラム 基礎データ 書店 生活情報 ディレクトリー

広告掲載 - お問い合せ - 利用規約 - プライバシーポリシー
©1999-2022 HOTNAM! All rights reserved.