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コラム

高麗に渡ったベトナム李一族 (前編)


 約800年前、ベトナム李朝の王子Ly Long Tuong(李龍祥)は高麗に亡命、高麗王の高宗(1192竏??1259)に手厚く迎えられた。朝鮮半島で生きる花山李氏――その始まりは、ベトナム李一族であった。

■李朝の時代
 1010~1225年、ベトナムはLy Thai To(李太祖)、Ly Thai Tong(李太宗)、Ly Thanh Tong(李聖宗)、Ly Nhan Tong(李仁宗)、Ly Than Tong(李神宗)、Ly Anh Tong(李英宗)、Ly Cao Tong(李高宗)、Ly Hue Tong(李恵宗)、Ly Chieu Hoang(李昭皇)の9代の王が支配していた。

 李太祖はThang Long(現在のハノイ)遷都で知られ、最盛期を迎えたのは李仁宗即位後、名将Ly Thuong Kiet(李常傑)は宋軍を撃退した。だが李高宗即位から衰退をはじめ、李恵宗が陳一族を信用し、娘の李昭皇に王位を継いだ事がきっかけで、1225年に倒れた。

 史料によると1226年、陳朝創始者Tran Thu Do(陳守度)は李一族約300人を粛清、李恵宗を自殺へ追い込み、陳朝を創立し実権を握った。身の危険を感じた李英宗の次男・李龍祥は外国への亡命を余儀なくされ、海路、高麗へ向かった。

■高麗への海路(みちのり)
 この航海には様々な説が存在する。Wikipediaによると、李龍祥はThanh Hoa省から3隻で出港、途中嵐に見舞われ、現在の釜山(プサン)近郊の海岸にたどり着いた。在日ベトナム人留学生による歴史文化フォーラムでは、李龍祥はLy Quang Bat(陳守度に粛清された学者Ly Quang Chamの弟)と共に東シナ海を航海、嵐で中国にたどり着いたが、その後の生存状況は不明としている。

 作家Kang Moo Hakの歴史小説では、李龍祥は南京に逃れ、陳朝創立により他の地を求めたとされている。またハノイの作家Vu Ngoc Tienは、李龍祥が1カ月近く海を漂流していると大きな嵐に遭遇、荒地で人気の無い台湾に着いた。

 病気のため一時台湾に滞在したが、李龍祥はさらに航海を続けることを決心、重い病にかかった子や一部親族は200人の従軍と共に台湾に残った。台湾の李登輝元総統はこの子孫との説もある。

 一方韓国の李一族の族譜では、李龍祥は1226年秋、1,000人を超える従軍と共に朝鮮半島北部の黄海道の海岸にたどり着いている。
 
 地域の伝記にこんな話が残る。高麗王の高宗はある時、南から飛来した鳥が黄海の畔にとまる夢を見た。その後高宗が黄海へ向かうと、李龍祥が高麗の地にたどり着いたところだった。これが、南国の王子の高麗王との出会いである。

■高麗での暮らし
 高宗は李龍祥を厚くもてなし、黄海道海州(現・北朝鮮黄海南道海州市)に住まわせた。李龍祥やその従軍、一族はそこで農業・牧畜・漁業をはじめ、詩歌、音楽演奏や武道の学校を開くなどして生活を送るようになった。

 1253年、蒙古が高麗を攻撃した際、李龍祥は高齢ながらも、白馬にまたがり機敏に軍を指揮、高麗軍に李朝独自の戦法を指導し、蒙古軍を打破するという大功績を収めた。高宗は李龍祥に将軍の座を与え、蒙古軍を打破した記念碑を建て、その地を花山と改めた。その後人々は、李龍祥を花山将軍や白馬将軍と呼び称えるようになった。
 
 故郷への想いつのる李龍祥は、故郷の李一族を祀り、共に海を渡った人々が故郷への想いに浸れる場を提供しようと、李朝式の宮廷を建てた。また李龍祥はその生涯の末期、ある山にて、遠く南方を見つめ故郷を想い出し涙していたという。その場所は望国壇と呼ばれている。

 花山李氏の族譜によると、一族の一部は南部に移住し、安東(アンドン)や奉化(ボンファ)で事業を始めた。1950年代の朝鮮戦争勃発後は南北朝鮮に別れ、現在は北朝鮮に1,500世帯、韓国に600人の花山李氏が暮らしていると推測される。

 毎年旧正月になると、花山李氏の子孫たちは花山へ戻り、先祖を祀る行事に参加する。この儀式では9代続いた李朝への想いを込め、9回太鼓が叩かれる。

■もう一つの李一族
 李龍祥が高麗に来る前の1150年にも、李朝の水軍に属する李仁宗の養子Ly Duong Conが、一族を率いて高麗に亡命しているといわれる。

 李神宗が崩御した際、朝臣はLy Duong Conを即位させようとしたものの失敗に終わり、政争の災いを逃れるため亡命した。韓国の歴史研究家Pyun Hong Kee氏も、「第2の李一族」の存在に関する研究を発表している。

 韓国国立図書館に保存されている資料によると、Ly Duong Conの6代目子孫はUijiong王の下で功績を残すLy Nghia Man将軍だ。だがLy Nghia Manやその子らは殺され、生き残ったのは親戚一人のみだったため、子孫は細々とその血を継いだ。

(Tuoi Tre)

(2007/03/29 06:42更新)

※上記の情報は【ベトナム最新情報】より引用しています。

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