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コラム

Trung Nguyen カフェ創業物語 竏奪ang Le Nguyen Vu 伝竏?


― 私の家族には誰一人、頭のはげた、あるいは髪の毛の薄い人はいません。しかし、私の毛髪は、数えるほども残っていません。私は自分の野望のため、全てを犠牲にしてきました。毎朝、鏡を見るたびに、自分が犠牲にしたものを実感させられるのです ―

■農村の貧しい生活
 私の小・中学生時代で思い出すことと言えば、9年間毎日、15?も続く赤土のぬかるみ道を歩いて学校に通ったことだ。登下校中の楽しみはといえば、税務署の前を横切る時、通りで物売りをしている親切な人たちが熟れたバナナや生のさつまいもをくれることだった。何より嬉しかったのは、レンガを運ぶトラックが、ぬかるみを歩くのに疲れ、足が棒のようになった私を荷台に乗せてくれることだった。私がBuon Ma Thuotの高校に進学が決まってやっと、両親は登下校にと中古の自転車を買ってくれた。
 1990年、私はMadrak村から遠く離れたTay Nguyen医科大学に合格した。母は私をこの大学に入学させるため、米や家にあった数少ない財産を売り払わなければならなかった。しかし、私は大学で学び始めると、医者という仕事とその生活に疑問が生まれ、勉強を重ねれば重ねるほど、この疑問は膨らむばかりだった。私はもっと豊かな生活を手にしたかった。周りを見てもほとんどの医学生が「ヒポクラテスの誓い」など、とうに忘れてしまっていた。この誓いはあまりにも現実離れしていて、私にとっては偽善にすら思えた。この言葉に背かない唯一の方法は、医者とは違う道に進むことだった。しかし果たして何をすればいいのか?まだ22歳の私に分かるはずもなかった。しかし常に私の心を熱くしていたのは、人生を変えるような何かをしたい、このままずっと貧しいままではいたくないという強い思いだった。
 母は休む間もなく働き、年がら年中苦労続きだった。家族を養うため、重たいレンガを運び、古びた帽子をはずすことなく野菜畑で精を出し、方々に野菜を売りに歩く姿が、今も頭から離れない。母はこの貧しく苦しい生活を、天から与えられた運命だと半ば諦めてさえいるかのようだった。私が帰省するたび、母は喜びと不安とが入り混じった何とも言えない顔をした。息子の帰省は嬉しかったが、年老いた身で息子の学費を捻出するのは決して容易ではなかったのだ。何もかもが不足し、将来に希望すら持てなかった頃、父が重い病に倒れた。親戚中にかけ合ったが、200万ドンという治療費を工面することはできなかった。
 私はBuon Ma Thuotにある貸間で暮らし、その家でアルバイトもしていた。畑の雑草を刈り、コーヒー豆を摘み、そこで働く人々に食事や飲み物を運んだ。まだ若かったが、すでに私はコーヒーに精通していた。

■小さな旅立ち
 農業に従事する人々は、なぜ両親のように苦労が絶えないのだろうと私は常に考えていた。コーヒーにも、それなりの価値があるはずなのに、なぜか畑仕事に従事する人々は、とても貧しいのだ。彼らは私の母と同様、毎日、畑に出ては照り返す強い日射しにさらされ、愚痴一つこぼさず、せっせと働く。その姿に私は耐えられなかった。人々の苦労に思いを馳せるたび、私はたまらなく胸が痛んだ。当時の私は、三度の食事よりも、これから自分がどのように生きるべきかを考えることの方がはるかに大切なことだった。
 私が医師への道を捨てると決断した時、母は涙が枯れるまで泣いた。同級生のほとんどは、私がどうかしていると冷たい目を向けた。狭い世界で子供じみた夢を見ているだけでは耐えられないという私を理解し、共感してくれたのは、たった3人の友達だけだった。彼らはありったけのお金をかき集め、そっと私のポケットに10万ドン入れてくれたのだった。
 私はサイゴンのTa Thu Thauへ向けて出発した。父が書いてくれた叔父の名前と住所だけが頼りだった。朝6時、バスがMien Dongバスターミナルに着いた時、私のポケットにはわずか2万ドンしか残っていなかった。通りで売っている1杯2,000ドンのコーヒーをちびちび飲みながら、目を大きく見開いてサイゴンの風景を目に焼き付けた。それは、想像を遥かに超える大都市だった。私は、全く違う世界に来てしまったような、そんな錯覚すら感じていた。

■復学
 叔父はDa Nang出身だが、長くサイゴンで暮らしていた。私はまだ一度も叔父に会ったことはなく、当然、叔父も私のような甥がいることなど知るはずもなかった。昼になっても叔父はまだ帰って来ない。疲れ果て、睡魔に襲われた。お腹もすいていたが、ポケットにはたったの1万ドンしか残っておらず、不安から何を買う気にもなれなかった。私は今でも時折、初めてサイゴンの地に降り立ったあの日、一人途方に暮れ佇んでいた家を思い出し、ふと訪れることがある。
 夕方になって運良くDa Nangから叔父たちが帰って来た。叔母が私のことを叔父に話してくれ、ようやく家の中に入れてもらうことができた。まず初めに私がしたこと、それは、ただ眠ることだった。ふと目を開けるとすでに辺りは薄暗く、傍らには叔父が私の目覚めを待っていた。その夜、叔父と私は休むことなく話し続けた。私は自分の固い決心を打ち明けた。1つ目は、二度と故郷へは帰らず前に進むだけだということ。2つ目は、どんなことでもする覚悟があること。3つ目は、自分の人生を変える何かをしなければならないということだ。そして私は自分の身を焦がすような熱い思いを語った。貧しいことは恥だ。自分の父親が病に倒れても、家族や親戚の誰一人、僅か200万ドンの治療費さえ用意することができなかったのだ。叔父は最後まで耳を傾けた後、静かに首を振った。「お前が言うことは全て正しい。しかし今はまだその時ではない。まず何よりもお前がしなければならないことは、大学を卒業することだ」と私をたしなめつつも、「大学を卒業したら、サイゴンに来たらいい。その時は、何でも手伝おう」と約束してくれた。そして「とりあえず、ここでゆっくりしていきなさい。気が済んだら帰ればいい」と言ってくれた。私は叔父の家で過ごした10日間で、知らず知らずのうちに気持ちも落ち着き、やはり大学に戻るべきだと考えるようになっていた。帰ることを決めた日、叔父は私に飛行機のチケットを用意してくれた。生まれて初めて大空を飛び、早く世界に羽ばたきたいと夢は膨らんだ。空から見下ろすと、地上で起きている全てのことが随分とちっぽけなものに感じられた。自分の胸にくすぶる熱い思いは決して消えることはなかったが、それでも少し冷静になれたような気がしたのだった。私は、自分だけの道を進むために、再び大学へと戻ったのだった。

<第二部へ続く>

(Tuoi Tre)

(2004/11/05 11:03更新)

※上記の情報は【ベトナム最新情報】より引用しています。

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